脳卒中の後遺症は死ぬまで続く
こんにちは。ひですけです。
2021年末、去年の年末に脳卒中(右被殻脳出血)になってから丸8カ月が経過しましたが、マヒした左側の調子は良くないです。
足は気圧の変化で「炭火で焼かれているように」痛みますし、腕は肘から痺れて下の感覚がなくなることがあります。
特に肩甲骨まわりの肩甲下筋や棘下筋が弱っているようで腕を上げづらくなってきました。
どんな感じかというと、
トイレでパンツを上げると肩に激痛、
ご飯の時におかずを取ろうと箸を伸ばすと激痛。
服を脱ぐのに腕を上にあげるのも激痛・・・
酷いときはPCのキーボード入力するのも激痛
こんな感じで何気ない動作で激痛で本当に萎えています・・・。
しびれが強すぎて左手使えない時もありますので、
何するにしても激痛が走るので、本当に萎えてきます。
もちろんリハビリは頑張っているのですが、
筋肉の劣化がひどくなかなか良くならないことに
ゲンナリしているのが正直なところです。
で、ようやく思い知ったといったほうが正しいのですが、
脳卒中になって入院したりすることは「一生続く闘病生活の始まりに過ぎない」ということなんだなと。
もちろん壊れた脳神経が再建してくれば、もっと先の未来によくなることもあるのかもしれませんけど、現時点では毎日が痛みとの戦いで、正直、少し疲れてしまっています・・・^^;
辛いからこそ、何気ない毎日を楽しもう
それでも元気出さないとなぁ・・・と思って料理したりゲームしたりして気を紛らわせています。
たとえばこれ。
胡麻ペーストから作る本格派胡麻担々麺とか
一人前150円とかで作れますし、自分好みの味に仕上げられるのでお勧めです。
特に前できていたことができなくなると悔しいですし元に戻したいとの気持ちも出てきます。
作業療法にもなりますし、いい励みにもなるのではないでしょうかね?
料理は自分でもいい趣味だなと思っています。
※日常についてはInstagramに書いたりしていますが、もしよければそちらをご覧ください。
絶望しないためにはどうするか?
これは良く聞かれるのですが、困難に陥った時に絶望するのをどう回避するか?
答えは2つ。
1.最悪を想定し、根拠のない楽観視はしない。
根拠のない楽観視。『なんとかなるさ』はだいたいなんともおなりません。
なんとかなると思えるのは努力して努力して目先がたった時に初めていえることで
何もしてないのになんとかなるさって《おこがましい》と思うんですよね。
もちろん努力したからと言ってうまくいくわけでもありませんので、
そう簡単に『なんとかなる』と思わないことだと思います。
2.後悔のない選択をする
良い人生を生きる。これに尽きるかと思います。
特にやらなかったことを後悔するのは、取り返しがつかないので、
できることを頑張ることかなと思います。
死ぬ間際に「○○しておけばよかった」なんて
どうにもなりませんので、
どうせ死ぬのだから冥土の土産にしておくかと
チャレンジ精神を忘れてはダメだなと。
©尾田栄一郎/集英社
これは私の好きなマンガ、ワンピース16巻の一幕ですが、このドクターヒルルクのように
最後に『いい人生だった!』と思える生き方をしていくことじゃないかなと常々思うわけです。
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致死率は100%。メメントモリを忘れるな。
なんぼ死にたくないと思っても、生まれてしまった以上、致死率は100%。
この現実を変えるのは無理ゲーです。
どのみち死ぬのであれば、大切なのはどう生きるか。
メメントモリとは古代ローマの言葉で『死を忘れるな』という意味の言葉です。
逆説的な言い方ですが、死ぬことを意識することで、生きることを実感とする。
たまに自分が何の為に生きているのかわからないなんて言う人がいますけど、
裏を返せば、死を意識しないから生も感じられないんだと思っています。
使命とは何のために命を使うのか?
何の為に生きるのか。
それを決めるのは他人でも世界でもなく自分です。
目的のない人生では虫や動物と変わらないのです。
何のために生きるのか?そのために何をするのか?
それが、それこそが人生を生きるということではないかなと思っています。
一度、死にかけたからこそかもしれませんけどね。
しんどいことも多いけど、使命を持って生きていると退屈せずに生きられます。
しょぼ暮れていても仕方ないですし、元気出していきましょうね。
質問などあればコメントなどお気軽に(笑)
ではでは、また次の記事でお会いしましょう。
みなさんのコメント (コメントは敬意をもってお願いします)